ピーナちゃんと出会って1年を迎えようとしてる。
私にとってこの1年は驚きの連続であり、楽しいことだけではなく、時には辛い時もピーナちゃんと共に歩んできた1年だった。
特に思い出すのは、ピーナちゃん家族と初めて食事をしたことで、その時も大人数でロビンソンモールで買い物をし、レストランでたらふく食事をとり、最後はカラオケで夜中まで騒いでいた。
騒ぎの中心はお義父さん。
そして、支払いの中心はもちろん私である。
この時に初めてピーナちゃんのお父さんに初めてお会いした。
フィリピンの人らしく陽気でフレンドリー。お酒が好きらしく日頃は常に酔っ払っているそうだが、この日はシラフでのご対面だった。ピーナちゃんが私に会う前に飲まないようお願いしたらしい。やっぱり娘に弱いところは父親である。
お義父さんにスニーカーをプレゼントした時の喜びようは今でも忘れられない。
まさか、この時がお義父さんと最期の別れになるとは思いもしなかった。
昨年末の話しだが、ピーナちゃんと私は年末年始を日本で過ごしていた。
クリスマスも終わり、イオンモールで正月のために買い物を楽しんでいたところ、ピーナちゃんの電話が鳴った。
急に真剣な表情になるピーナちゃん。
顔から血の気が引き、強張るのが分かる。
「パパ死んじゃったー ・゚・(。>д<。)・゚・」
− ??
一瞬何のことだか分からなかった私も、周りを気にせず泣き叫ぶピーナちゃんを見て私も固まってしまった。
私は慰めることしか出来なかった。
とにかく冷静に考えなければならない。
ピーナちゃんにとって初めての日本での正月。本人も楽しみにしてた矢先の出来事である。
急遽フィリピンに帰ることを提案したのは言うまでもない。
「ママと相談します ( p′︵‵。)」
それだけ言って無言のまま家路に着いた。
その日、お義父さんは朝から体調が良くないらしく、たまたま家族が留守にしている間に倒れたらしい。家族が帰ってきた時には、すでに息絶えていた。
日頃の酒浸りの生活が仇となったようだ。
結局ピーナちゃんは、フィリピンに帰らず、日本で正月を迎えることになった。
『今フィリピンに帰ってきたところで、もうパパは帰ってこない。パパのことは任せなさい。パパの分まで日本で色々と経験をしなさい。』
とママが言ってきたのである。
ピーナちゃんが日本へ行く日も、お義父さんに何も声を掛けなかったらしい。
ピーナちゃんはそれを後悔してる。
先日フィリピンへ帰った時にピーナちゃんと、お義父さんの墓参りをした。
いつもは強いピーナちゃんだが、時折パパのことを考えるのか、ふと寂しい表情を見せたりする。
お義父さんの目に私はどう映っていたのだろう。今となったら聞くこともできないが、ピーナちゃんを泣かせることだけは出来ない。
ふと私も自分の父のことを考えてみた。
明日、18年ぶりに電話をしてみようと思う。
(クリックして頂けますと励みになります)
にほんブログ村
スポンサーリンク